亡父からのエール
『ごみ発電技術 東南アジアに輸出 環境省10都市で計画』との見出しの付いた新聞記事が目に止まりました。もしかしたら?と思い記事を読み進めると、やはりそこには父の勤めていた会社の名前がありました。『お父 […]
『ごみ発電技術 東南アジアに輸出 環境省10都市で計画』との見出しの付いた新聞記事が目に止まりました。もしかしたら?と思い記事を読み進めると、やはりそこには父の勤めていた会社の名前がありました。『お父さんの蒔いた目が、ちゃんと育っていますよ』と、私は心の中で天国の父に報告しました。
思い起こせば30年ほど前、父は突然次のような事を言いました。「これからは鉄鋼会社として鉄を作るだけで会社を成り立たせていくのは難しいと思う。溶鉱炉でゴミを使って発電する方法があるが、奈緒美はどう思う?」と。私はすぐに「それは素晴らしいアイデアね。ゴミ処理をしながら発電も出来れば、まさに一石二鳥で将来が楽しみなプランだね!」と答えると、父の表情は一瞬で輝き、膝を打ちました。その時から父のゴミ処理技術に関する勉強が始まりました。必死で机に向かう父の後ろ姿が今でも私の脳裏に焼き付いています。
長い月日が流れ、昨年7月上旬にシンガポールで開催された『拡大ASEAN気候変動閣僚会議』に出席した際に、展示されていた企業の中に生前の父が社長を務めていた会社の名前を偶然見つけました。さっそく「父が大変お世話になりました」と挨拶をして展示会場に伺うと、丁寧に溶鉱炉を使ってゴミで発電する技術の説明をしてくれました。父の務めていた会社の方から、娘の私が環境副大臣としてゴミを使った溶鉱炉発電の説明を受けるとは‥運命のあやを感じた瞬間でした。その流れは確実に今日へと受け継がれ、新聞記事の様な展開になったのでしょう。
生前父は「会社の経営者としてすべき事は、『人を幸せにする』ための仕事を会社の生業とする事。そしてこの哲学を社内で常に言い続ける事。時には原点に立ち返り、時代の流れを読み、現状維持をしようとすると力に抗してでも、信念を持って先手先手が打てる組織に作り変えていく、これこそがリーダーのすべき仕事だ」とよく言っていました。私に記事を見せて、色んな事を思い出させたのは、自民党大阪府連の会長として苦しんでいる私への父からのエールかしら?と、改めて亡父に感謝した私でした。