和解の力
明けましておめでとうございます。昨年も様々な事がありましたが、私は特に安倍総理が12月27日に日米開戦の舞台となった真珠湾で歴史に残る、感動的なスピーチをされた事が強く印象に残っています。【戦争の禍根は、二度と繰り返して […]
明けましておめでとうございます。
昨年も様々な事がありましたが、私は特に安倍総理が12月27日に日米開戦の舞台となった真珠湾で歴史に残る、感動的なスピーチをされた事が強く印象に残っています。
【戦争の禍根は、二度と繰り返してはならない。私たちはそう誓いました。(略)あのパールハーバーから75年。歴史に残る激しい戦争に戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く強く結ばれた同盟国となりました。(略)私たちを結びつけたのは、寛容な心がもたらした『和解の力』です。】
という内容でした。その『和解の力』を最初に示してくれたのは、米国だったという事実を今回の安倍総理の訪問で多くの日本人が知ることになりました。米国は真珠湾攻撃で戦死した日本の飯田房太(ふさた)中佐の記念碑を米軍基地内に建立しています。飯田中佐は安倍総理と同じ山口県出身の零戦パイロットでした。1941年12月真珠湾攻撃に参加しましたが、攻撃中に燃料タンクに被弾しました。飯田中佐は、僚機が日本の空母に無事帰還出来るよう正確に誘導し、任務を確実に遂行したのち、自らが帰還すると空母に発火の恐れがあると判断し、急旋回して米軍のカネオ海軍基地格納庫へ向け突入しました。米軍は甚大な被害を与えた敵であるにも関わらず、飯田中佐の勇気と献身を称え、地域の一部にあった反対の声も押し切って基地内に記念碑を建立し、現在も海兵隊が維持管理してくれているのです。
飯田中佐の行為は、仲間と祖国の未来を憂える尊い情熱に加え、強烈な責任感や報恩の決意が見事に象徴されたものです。その純粋な思いを感じたからこそ、米国は記念碑を建ててくれたのでしょう。
今回の安倍総理のパールハーバー訪問は、『自分さえよければいい」という身勝手なエゴイストには絶対真似のできない、まさに『和解の力』を世界に示した、日米双方の誇るべき歴史に残る1ページだと思います。
そして総理のスピーチで改めて気づいたことは、私たち人間は、命のバトンを次の世代に渡す、駅伝やリレーのような流れの中で生きているということです。その中で、いかに良い環境で次の世代に自信を持ってバトンを渡すことができるか?その基礎となる道を造るのが、まさに政治の仕事だと思います。
国民の未来の為に必要な事であると確信したら、どんな事があっても決して諦めず、総理の仰った『和解の力』で道を切り拓いていく。
私はこの様な政治家を目指して、まずは『健都』(北大阪健康医療都市)のような挑戦をきちんと形にし、未来の街の基礎を造る年にしたいと思います。今年もどうかよろしくお願いいたします。