「無償化」政策の落とし穴
耳障りの良い「無償化」の政策には、見えないところで落とし穴があるということをしっかり認識してから、前に進めていくことが重要です。「美味しい話には、裏がある」と肝に銘じて欲しいです。
私が厚労副大臣だった2016年マレーシアで行われた「保健医療サービス制度(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジUHC)」に関する会議に参加した時の話です。
医療制度の導入を目指している複数の国の厚労大臣から「医療制度のメリットを国民に説明するのが難しいので、『医療費が無料になる制度ですよ』と言って制度への加入を推奨しています」との発言が多々ありました。
日本は、参加国の中で皆保険制度を既に実現し、医療制度では世界のゴールに位置付けられている理想の国と、言われている存在でした。
その日本の代表として、最後に発言を促された私は次のように語りました。
「医療費の無償を訴えて、国民を医療制度に勧誘する方法はお勧めしません。我が国日本も、1973年に70歳以上の高齢者の医療費を無償化する政策を導入しましたが、その結果、給付と負担のバランスが大きく崩れてしまい、10年と持たずに中止することになってしまいました。医療費の無償化は、無駄な医療費は削減すべきとの国民の意識を大きく欠落させ、気が付けば医療機関の待合室は、高齢者が集うサロンに様変わりしてしまいました。当然ですが、医療費は急増し、財政的に保険制度の維持が厳しくなるという、大きな弊害を生みました。確かに無償化は、導入時だけ国民に大いに喜ばれる制度です。しかし、残念なことに国民はすぐに慣れて当たり前となり、時間が経てば、これが無償化できるなら、あれもこれも無償化して欲しい!との国民の要望の声はどんどん大きくなります。「無償化の怖さ」は、「財源」です。一度始めてしまえば中止は先ず許されず、恒久財源が必要になります。国民の高まる「無償化」の期待に応え続けるためには、今の財源に余裕がなければ、将来の財源にまで手をつけることも起こり得ます。この無償化の負の連鎖を回避するには、低額でもいいので、国民に一部負担をして貰う制度にしておくことです。ゼロか、イチは大違いです。一部負担願えば、もっともっと欲しいとの声も少なくなりますし、無駄を防ぐことも出来ます。さらに、費用をやり取りしているので、サービスを提供する側も受ける側も、互いに責任と義務が発生して、真剣に取り組むようになります。」
私の意見を聞いた各国の厚労大臣からは「日本の経験に基づいた意見を聞けて、会議に参加して本当によかった。すごく参考になりました。医療費の無償化は、考え直します」という声をいっぱい頂きました。
あの会議から時は流れ・・・残念ながら、現在我が国を覆っている多くの政策は、「こどもの医療費の無償化」「出産費用の無償化」「幼児教育・保育の無償化」「給食費の無償化」「高校の無償化」「大学の無償化」など、まさに無償化の嵐です。
耳障りの良い「無償化」の政策には、見えないところで落とし穴があるということをしっかり認識してから、前に進めていくことが重要です。「美味しい話には、裏がある」と肝に銘じて欲しいです。