「人の喜びを我が喜びに」私が政治を目指した理由
「なぜ、とかしきさんは政治家になろうと思ったのですか?」とある集会で質問がされました。落選中の私が原点を振り返るにはいい機会を頂いたと考えて次のようにお答えしました。 化粧品会社に就職した私は、出世していつか会社の経営に […]
「なぜ、とかしきさんは政治家になろうと思ったのですか?」とある集会で質問がされました。落選中の私が原点を振り返るにはいい機会を頂いたと考えて次のようにお答えしました。
化粧品会社に就職した私は、出世していつか会社の経営に携わるような仕事がしたいと常に考えていました。学生時代に身に付けた薬学の知識を活かして広報を手がけましたが、経営の知識が足りないことに気づき休職してビジネススクールへ入学。今で言う学びなおしの「リカレント教育」です。そして復職し、ふと仕事に行き詰った時に「自分の生き方の違い」にはじめて気がつきました。自分だけの為に今後の人生を生きて良いのだろうか?・・・私は周りの人を幸せにすることを、もっと考えなくてはいけないのでは?ないか、と。
その時に頭に浮かんできたのが、亡母が取り組んでいたボランティア活動をしている姿でした。ボランティアを受けている方も嬉しそうですが、している方は実はもっと嬉しそうな顔をしていました。「誰かを幸せにし、感謝された時に、人は生きがいを一番感じるのではないか」このように考えた私は、「人の喜びを我が喜びに」を、今後の人生の柱に据えることにしました。
では「最も効率よく多くの人を幸せにする仕事は何か」この点で私は再び行き詰まりました。そこから思いつくだけの職業を100ぐらい模造紙に書き、一つ一つ吟味して出来ないもの、向いていないものは順番に消していきました。すると残った職業が「政治」だったのです。選挙もあるし、落選するリスクもあるので正直最後の最後まで悩みましたが、残ったのも事実。私はここで「政治家を目指そう」と決意したのでした。決断まえには2年の歳月を要しました。
そこから東京の杉並区議会議員2期、衆議院議員4期(大阪7区:吹田市、摂津市)を勤め、現在までに政治活動を25年間続けています。私の強みは「政治家になろう」と決断するまでに2年もの時間を費やしたことです。2年も葛藤して、政治の道を選ぶと決めたのだから、落選くらいが何だ‼と、この挫折を肥やしに、むしろ政治家として一回り大きく成長して国民の皆さんに大きく恩返しできるように、努力を重ねることを今はすべきではないか、と思えるようになったことです。
「人の喜びを我が喜びに」という言葉を胸に、今日も吹田市・摂津市の街角で、ビラ配りやあいさつ回りを毎日繰り返ししている私です。